能代工業と言えば、高校バスケットを語る上では避けては通れない、バスケファンなら誰もが知る数々の伝説を持つ高校バスケの強豪校ですよね。
そんな能代工業ですが、2021年より能代西高校と統合し、「能代科学技術高等学校」と名前を変えております。
「能代工業」の名前を大会の出場校の中で目にする機会はなくなりましたが、日本の高校バスケットに大きな功績を残した能代工業について今回は振り返りたいと思います。
能代工業高校の歴史
能代工業高校は秋田県能代市盤若町に所在する1912年に創立された県立の工業高校です。
バスケットボール部は1933年に創部。
1963年に初の全国大会出場を果たし、4年後の1967年、埼玉国体で初めての全国優勝を果たしました。
その後も全国大会で幾度の優勝を果たす中で、1975年には高校選抜、インターハイ、国体で優勝。
初の3冠を達成しました。
そんな能代工業は、長らく高校バスケの絶対王者として君臨するようになり、現在までに獲得した全国タイトルの数は全国の高校の中でもダントツの58に上ります。
また、3冠を成し遂げた回数も10回を数え、中でも1996年~1998年の3年連続の3冠達成=9冠達成の時代は能代工業の黄金時代とも言われています
3冠達成年度
(1975年、1976年、1980年、1983年、1985年、1988年、1991年、1996年、1997年、1998年)
能代工業のバスケットスタイル
能代工業と言えばオールコートのプレスからの速攻に、無尽蔵のスタミナでメチャクチャ走りたおす印象がありますが、能代工業にそのスタイルを定着させ今日までの礎を築いたのが、1960年~1990年までの30年間監督に就任していた加藤廣志監督です。
加藤監督が能代工業に浸透させたテーマである平面バスケットは、今では能代工業の伝統スタイルと表現されるだけでなく、今日までの高校バスケットの発展に大きく影響を与えています。
田臥勇太率いる能代工業黄金時代(1996年~98年
長い能代工業のバスケットの歴史を語る上で、避けて通れないのが田臥勇太の存在ではないかと思います。
田臥は能代工業卒業後、日本人初のNBAプレーヤーとして日本中を驚かせ、41歳となる現在も現役でBリーグトップクラスの強豪チーム、宇都宮ブレックスでプレーを続けている、まさに日本のバスケット界の至宝と言っても過言ではない選手です。
田臥は絶対王者の能代工業で1年生からスタメンの座を獲得し、1年生~3年生の在学中9つすべての全国タイトルを総なめにします。
当時、田臥のスピードとパスセンスに多くの人々が魅了されました。
そして能代工業は96年、田臥に加え3Pシューターの菊池勇樹、リバウンダーの若月徹という3人の1年生と、畑山陽一、小嶋信哉という2人の2年生がスタメンとなり3冠を達成します。
主力の3年生が抜けて、春は戦力がダウンすることが一般的ですが能代工業は前年の全国優勝メンバーが全員残留。
97年もタイトルを総なめにします。
続く98年も上級生の抜けた穴をしっかりカバーし、3度目の3冠達成のプレッシャーにも負けず、決勝の相手である市立船橋を 98-76 で下して見事3年連続3冠を達成しました。
近年の能代工業
田臥、菊池、若槻の9冠トリオの卒業後、2000年代に入ってからも能代工業は8度の全国大会の優勝を果たしています。
しかし、ここのところ高校バスケットにも2mを超える海外からの留学生が所属するチームが増え、能代工業にとっては高さの上で不利な状況が生まれました。
そんな状況からか2007年以降、能代工業は全国優勝から一歩遠のき、ベスト16あたりの壁に悪戦苦闘する状況が現在まで続いております。
能代工業の2020年ラストイヤー
能代工業として迎える最後の年は、コロナウイルスという歴史的な感染症の影響により、インターハイをはじめとする数々の大会が中止になる、過去に例のない異常事態の年でした。
そんな中、半ば強行な側面も含んで開催されたウインターカップは、大会中も棄権を余儀なくされるチームが続出するなど、一体何と戦っているのかわからなくなるような異様な空気の中で行われました。
憂愁の美を飾るべく臨んだ能代工業は、熊本県代表の九州学院と1回戦で激突。
1Q~3Qまでに12点のリードを作るも、最後の第4Qで九州学院の猛攻を受けてしまい、
そして、 77-72 でまさかの初戦敗退という結果に終わりました。
まとめ
能代工業については書いても書ききれないくらいですが、すごい偉業をなしとげてきた学校だったことがわかりますね。
バスケット漫画の金字塔、スラムダンクの山王工業のモデルであることはあまりにも有名な話です。
高校バスケットの枠だけにとどまらず、能代市をバスケットの町として浸透させ地域の活性化にも貢献してきた能代工業。
校名は変わっても、能代工業の魂は能代科学技術高校へ、これからも脈々と受け継がれていくことと思います。
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